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北海道酒蔵紀行2〜国稀酒造〜
利酒師 坂口 義人
国稀酒造株式会社 | ||||||||||||
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蔵元視察レポート第2弾の今回は増毛町「国稀酒造株式会社」を訪問して参りました。日本最北の酒蔵についてご報告させていただきます。
国稀酒造 歴史
1882年(明治15年)に現在の増毛町にて創業。当時呉服商を営んでいた初代、本間泰蔵がそれまで日本酒の多くは本州からの移入酒だったことで価格も高く、北海道での自家醸造を思い立ったのが始まりとされています。主力商標名であります「国稀」はその昔「國の誉」という名でした、明治35年・日露戦争が勃発。増毛町民が多数入隊していた旭川第7師団が二百三高地で多数の死者を出しました。この戦没者を弔うために慰霊碑を建てる事となり、当時創業者の本間泰蔵が明治40年に乃木希典元陸軍大将に碑文の揮亳の依頼をしました。この乃木大将の人格におおきな感銘をうけた本間泰蔵が「國の誉」を「國稀」と改めました。「稀」としたのは乃木希典の「希」に「のぎへん」をつけて「国に稀な良いお酒」という意味合いを持たせたことから現在に至っています。
国稀酒造レポート
今回は最北の酒蔵「国稀酒造株式会社」を訪問して参りました。蔵元に到着する前に感激したのは日本海を見下ろす暑寒別岳連峰でした。この雄大な暑寒別岳連峰から涌き出る良質な伏流水から「国稀」は造られていました。この暑寒別岳を背景に増毛町「国稀酒造」に到着しました。
現地では統括部長の野呂和秀氏に蔵元のご案内をいただきました。最初に国稀酒造の歴史についての御話を伺いました。増毛町は明治初期 にしん景気で賑わっておりました、創業者の本間泰蔵は新潟県佐渡出身で呉服の仕立て屋の三男として1849年に生まれ、1873年(明治6年)に小樽に渡り呉服屋の養子格の番頭として働いておりました。増毛町には明治8年に移り住み呉服商を始めたとの事。明治15年に「丸一本間」の社名で本業の呉服商の他、海運業・ニシン漁・醸造業を始めるに至りました。佐渡出身の本間泰蔵は知人に酒屋がいた事から酒の自家醸造を始めました。
初めは現在の蔵元横の旧本店の敷地内の醸造蔵で酒が造られておりましたがニシン豊漁による好景気で酒の需要が増え続け、明治35年に現在地に酒蔵を建設し現在に至っています。当時は社名も「丸一本間合名会社酒類部」となり営業をしておりましたが、合名会社設立から100年後の平成13年に現在の「国稀酒造株式会社」が社名となりました。
野呂部長より蔵内を案内され、そこでは昔ながらの製造をされておりました。当初は本間泰蔵が新潟県出身だったこともあり酒造好適米「五百万石」使用した清酒が多かったようですが、近年は「きらら397」「ゆきひかり」など北海道産の米を使用した清酒が造られています。最近では北海道産酒米である「吟風」を使用した清酒が多く造られております。
今回、蔵元の訪問をさせていただき最後に驚いた事は、瓶詰め工程の近代化また商品1本づつへの思いやりによる確認作業でした。野呂部長から1本1本大切に造っているとのご説明をいただきました。改めて商品に対する情熱に感激しました。
今回の国稀酒造訪問はこれからの私の営業にヒントをいただけたと思います。野呂和秀部長には大変お忙しい中、蔵元のご説明をいただき感謝を申し上げます。
誠にありがとうございました。
ムラオカ食品 利酒師 坂口 義人