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プロジェクトレポート
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酒蔵紀行(宮城県編)
営業部 坂口 義人
平成25年2月11日〜13日の3日間、日本名門酒会主催の「技術交流会&蔵元見学会in宮城」に出席をさせていただきました。全国的でも清酒蔵元の高水準を誇る宮城県ですが平成23年3月11日に発生した東日本大震災の影響により過大な損失をしてしまいました、震災後現在の立て直しを図った清酒蔵元と石巻市にございます水産会社視察についてご報告をさせていただきます。
今回、日本名門酒会加盟店18社19名・加盟蔵元7社8名・日本名門酒会本部より5名の総勢32名の参加により清酒蔵元様他を訪問いたしました。清酒蔵元様は活黹m蔵〈一ノ蔵〉・轄イ浦〈浦霞〉・鞄c中酒造店〈真鶴〉・(資)内が浦酒造店〈鳳陽〉の4蔵と石巻市の水産会社竃リの屋石巻水産様の5ヶ所をお伺いしました。
(1)株式会社 一ノ蔵(宮城県大崎市松山千石字大欅14)
蔵元創業は昭和48年(1973年)宮城県内の酒蔵4社(浅見商店・勝来酒造・桜井酒造店・松本酒造店)の企業合同によって新蔵元「一ノ蔵」が設立されました。新蔵元設立当時からの「手づくり仕込み」が現在も受け継がれています。
昭和52年(1977年)に現在人気商品となっています品質優良な「一ノ蔵無鑑査本醸造」を当時の級別制度に対抗して二級酒として発売されラベルに「本当に鑑定されるのはお客様自身です。」と表示し業界では有名な話となっています。
現在の社長第六代目松本善文氏が平成18年より就任されております。松本社長にお話を伺う機会があり現在人気商品「すず音」についてのお聞きしました、「すず音」は松本社長が社長就任前の平成10年に開発した商品との事でした。当時発売はめずらしい活性清酒という事で全国の酒屋を回って販売提案をしましたが売れ行きが悪く苦労をしたとのお話がありました。また、創業以来南部杜氏が蔵の責任者として守ってきました、現在は平成13年より一ノ蔵初の生抜き杜氏の門倉豊彦氏が蔵元を守り続けています。門倉杜氏にもお話を伺う事が出来ました、やはり平成23年に発生した東日本大震災の地震により蔵内は大きい被害を受け特に仕込タンクがホーローだった事もありステンレス製に交換をせざる得ない状況で全ての過程で立て直しを行った現状のお話を伺いました。
訪問の途中に宮城県産業技術総合センター橋本建哉先生より「宮城県の吟醸造り」についてのセミナーが開催され宮城県の酒造所について現在25社27製造場の現状と特定名称酒生産比率の多さと吟醸酒造りに対する考え方についてのお話をいただきました。特定名称酒の酒造りまたすべて「手づくり」にこだわった蔵元「一ノ蔵」ですがとても酒造りに対する強い情熱というものを感じました。
(2)株式会社 佐浦(宮城県塩釜市本町2番19丁目)
清酒「浦霞(うらがすみ)」蔵元です。創業は享保9年(1724年)、当時「糀(こうじ)製造業」(※糀〜米や麦などを蒸して、こうじ菌を繁殖させたもので酒・味噌・醤油などの醸造に用いていた。)を営んでいた初代佐浦冨右衛門が酒造株(※酒造株〜江戸幕府が酒造統制の基本政策として行った、醸造業の免許制の事、当時はこれを持っていない者には酒造りを禁じていた。)を譲り受け、以来仙台藩主伊達氏が信仰しておりました地元塩竈神社の御神酒酒屋として酒を醸して現在に至っています。
江戸時代以前からの塩竈は重要な港町でありました、海路を利用した販路拡大により明治以降の造石高は3000石(※1石180L)までに達しました。昭和時代は特に戦時中・戦後と政府からの指示により企業整備がされ宮城県下の酒造会社は強制合併となり当時は現在の蔵元名「轄イ浦」」ではなく「仙台酒造梶vとなっていました、昭和30年代に政府の企業整備緩和化により「仙台酒造梶vは解散となり昭和31年10月1日「株式会社 佐浦」 となります。昭和も高度経済成長に入り一度売上の停滞があったとのこと、その時蔵人でありました南部杜氏を中心に高品質の酒造りを追求して目指し平成に入り課税移出数量10,000石を達成致しました。しかし蔵元の基本方針であります自醸酒のみを出荷・販売を行っていたことから本社蔵のみでは生産能力が限界となり平成6年11月東松島市に第二蔵「矢本蔵」が誕生し本社蔵同様に高品質の酒造りを行っております。
「浦霞」というブランド名は昔、源実朝が詠んだ歌「塩がまの浦の松風霞むなり八十島かけて春や立つらん」からの語源となっています。現在蔵元を守り続けている小野寺邦夫杜氏(南部杜氏)にお話を伺う機会がありました。やはり東日本大震災時のご苦労をされたお話がとても印象深いものがありました、特に轄イ浦本社蔵は海に近いため地震の被害もありましたが大津波の影響により蔵内が浸水をするなどして復旧に時間を費やしたとのお話を伺いました。今後について品質と品格の最高の酒造りを目指そうとする強い気持ちが感じられとても感動を致しました。
(3)株式会社 田中酒造店(宮城県加美郡加美町字西町88−1)
創業は寛政元年(1789年)、伊達藩随一の呉服商初代「田中林兵衛」が酒造業を始め225年の時を得て現在に至っています。清酒「真鶴(まなつる)」の蔵元です、このブランド「真鶴」という名は藩政時代の伊達藩重臣で蔵元があります加美町中新田の城主「只野図書」から「酒銘を真鶴にせよ」との命により「真鶴」と命名したのが始まりとされています。
創業以来、小さな麹蓋をつかった手造りの製麹と酒造りの命と言うべき酵母に優しい木暖気樽を使用した「山廃酒母」造りによりすべて伝統的な手造りにて酒造りが行われておりました。また酒米についてもこだわりを持ち宮城県内での契約栽培する「蔵の華」・「山田錦」・「美山錦」を使用してすべて宮城県産の原料で酒造りをおこなっています。
杜氏の中川幸喜氏が蔵を現在守っています、中川杜氏は宮城県ではめずらしい庄内杜氏の流れを引継いでいる方で「今後は純米酒の種類を増やし淡麗な旨い酒、燗でもおいしい酒を造っていきたい」との展望を考えている杜氏です。やはりこの田中酒造店においても東日本大震災の影響があり、特に地震により建物の破損があったとの事です。蔵人が子育てのように酒造りを行っている蔵元で非常に一本々丁寧に酒を醸していると感じました。
(4)合資会社 内ヶ崎酒造店(宮城県黒川郡富谷町富谷字町27)
宮城県内屈指の歴史を誇っている蔵元です、創業は寛文元年(1661年)と今現在352年間休む事無く酒造りを行っています。清酒「鳳陽(ほうよう)」の蔵元です、ブランドの「鳳陽」という酒銘は唐の李善感の故事「鳳鳴朝陽」にあやかり家運隆盛を願って名づけられました。元和4年(1618年)に奥州街道に新道を作る事となり初代「内ヶ崎筑後」が伊達政宗公より富谷に宿場を設けることを命じられたのが始まりとなり、内ヶ崎筑後の息子「作右衛門(二代目)」が現在の蔵元の基盤となります酒造業を始めました。慶応2年(1866年)火災により創業以来の蔵は全焼いたしましたが明治元年(1868年)に復興となり以降その当時の蔵で酒造りが行われております。
現在の杜氏は南部蕩児の瀬川博忠氏が蔵を守り続けています、「飲み飽きしないお酒、一度飲んでまた飲みたいと思ってもらえるようなお酒を造っていきたい」の思いより昔ながらの手造りの技を生かした少量生産の酒造りと品質が第一であるとの頑固な酒造りを守り続けている蔵元です。また内ヶ崎代表にもお話を聞ける機会があり一昨年の東日本大震災については地震の被害がありましたとのご苦労をされたお話を伺いました。
宮城県屈指の老舗の蔵元「内ヶ崎酒造店」、酒造りにおける大切なことを改めて学びました。
(5)株式会社木の屋石巻水産(宮城県石巻市魚町1−11−4)
宮城県石巻漁港にあります水産加工会社「竃リの屋石巻水産」を訪問してまいりました。竃リの屋石巻水産は日本名門酒会「名門食品館」の推奨メーカーとして逸品水産加工品を全国に販売をされております。
今回、石巻漁港到着する間にとにかく驚いたことは幹線道路の脇に東日本大震災発生時に津波被害にあった車両また震災前に住居があったと思われる場所が瓦礫の山として現在も残っていたことでした。震災のつめ跡が今でも存在している事に自然への恐怖と震災復興に向けて努力されている方々の苦労さがまざまざと感じられました。
石巻漁港に到着して木の屋本社を見ました、大津波により加工工場が破壊され鉄骨だけが残されていました。竃リの屋石巻水産の方々より震災後復旧に向けてのお話を聞くことができました、大津波で破壊された工場倉庫に泥だらけになり傷ついた缶詰が残っていて食べてみると中身は大丈夫ということがわかり1つずつ缶詰を社員・ボランティアの協力で拾い集めそしてすべて拾い集めたとの事、想像を絶する努力をされていたのだと感じました。我々が訪問をした2月12日は新工場完成の日でした、東日本大震災から2年近くの歳月を経て竃リの屋石巻水産は再び歩みだしました。改めて震災からの復興に向けて努力されている方々に敬意を表すると共に販売の協力をしていきたいと感じました。
この度の宮城県の「技術交流会&蔵元見学会」に出席をさせていただき、主催されました日本名門酒会様には大変感謝を申し上げます。今まではテレビのニュースでしか分からなかった東日本大震災後の現地の方々が復興に向け努力されていることがつくづくわかりました。
また各蔵元の試飲もさせていただき各杜氏の酒造りに対する思いというものが伝わってきました、3日間の研修でしたが中身の濃くとても勉強をさせていただく事が多々ありました。今回の経験を参考にして今後の営業活動につなげていきたいと思います、誠にありがとうございました。
ムラオカ食品 営業部 坂口 義人